こまのねつ。


子供のころ、お正月だからとうこともなく、
近くの神社でコマ回しをしていました。


といっても、クルクル回すだけのものではなく、
喧嘩コマのようなものです。


紐を巻いて、(紐は「べー」って言ってたかな)それを
相手のコマに投げ、相手のコマが割れたりしたら、負け。

でも、割れることはめったになくて、その時は最後まで
回っていた人が勝ち。


コマは、木なのですけど、ボクたちは「ケン」と呼んでいた
軸の部分が金属で、それを金槌で打ち込んで、自分のコマを
作るのです。

軸をまっすぐ打たないと、飛び跳ねて、すぐ止まり、
まっすぐ打つことができると、その場で静かに回るのです。

ある程度、まっすぐに打ち込めたら、今度は、相手のコマに
しっかり刺さるように、“やすり”でケンを研ぐのです。


独楽を買ってからは、家で一人でその作業をするんですけど、
その金属のケンは、金槌で打ち、やすりで研ぐと、その場所が、
温かくも、熱くもなる。


小さい頃は、そんなことにビックリして、冷たい金属の熱に、
少し魅せられたりもするのです。




熱を持つために、打たれたり、研がれたりという衝撃が、
金属には与えられて、見た目には分からない中に、しっかりと
ぬくもりがあります。


ここ数日、人の優しさや、知らない誰かのためを思いやる気持ちも
これに似てるのかもしれないと、小さい頃のコマ回しのことを
思い出して、感じていました。



見えないけど、湧き出てくる熱さや温かさを、どこに放出するのかは
その熱の原因となった部分なのだろうと思います。


その「ところ」には、とても大きな痛みや、記憶に残っていく
モノが大きくあって、表面は、無機質なものになってしまったように
見えるのだけど、それをきっかけとする小さなひとつひとつの
熱やぬくもりが、その「ところ」に息吹を与えて、復興に向かって
行くのだろうと、思いました。



今は、救助に当たる、熱い熱い思いが、瓦礫の上の「ところ」で、
その宿るものを目指し、知識や経験を持った熱い熱い思いが、
見えない放射線のもとの「ところ」に立ち向かっています。




人と人のすれ違う、小さな温かさも、日本の全国にきっと見られるのでしょう。


もちろん、寒さ、空腹、待機、光のなさ、で、ぶつかってしまう、
バチッとした熱も、あるのだと思いますけど、発するとの部分は、
きっと同じで、その熱を持っていることに気づけることで、次は
温かさを感じることができるのかもしれません。



世界から、スッと飛んでくる熱もある。



ボクも少しは、飛ばせるでしょうか。




空回りで、くるくる回りながらも、やれること、やり続けてみます。